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2008/02/14
2008.2.14


私には4つ違いの兄弟がいます。
私はその人のことを「兄(あに)」と呼んでいます。
多くの姉妹、兄弟がきっとそうであったように
小さい頃には喧嘩をしない日がなかった。
わたしたちもそんな普通の兄弟として育ちました。
今の私のバックグラウンドには確実に「兄」の存在があります。
今日は、私にとっていわば
最も長い時を同じ屋根の下で暮らした男の子、兄のお話です。

兄は高校へあがると、それまで励んできた陸上をやめ
ラグビーを始めました。
「再放送のスクールウォーズに影響されたんでしょ」
軽はずみにひやかし、大げんかになったことがあります。
兄弟間の暴力とは事件ではありません。
それは日常の習慣のようなものでした。
でも気がすめば仲良くなります。
そして一緒にテレビを観ます。

ラグビーを始めたばかりの兄はやや細身の陸上体型でした。
あの脚線美は兄の密かな自慢であったに違いありません。
しかし、自ら選んだ新しい環境に適応するため肉体改造を始めました。
毎晩、どんぶりで2膳以上の白飯をたべ
食後は牛乳で割ったプロテインをがぶがぶ飲みます。
毎日の朝練、放課後もみっちりです。
夏に行われる合宿には胃薬を持っていきます。
ラグビーにおける肉体改造は、肉体の疲労に加え内蔵疲労が伴うようです。
想像を絶するようなストイックな世界です。

その頃から、しだいに兄がラグビー体型になっていきましたので
日常だった殴り合いができなくなりました。
ラグビーによって肉体も精神も大きくなってしまった兄は
チビだった私と殴り合うことに違和感を覚えだしたのでしょう。
だんだんと口論のできる大人っぽい兄弟へと成長していきました。

そんな兄も、大学へ上がる際に家を出て行きます。
生活全般を管理する寮で、生活をすることになったのです。
当時私は14歳でした。
大学では1年生からレギュラーとして活躍。
昔から私とは異なり、自分の目標に丁寧な努力家です。
卒業後は伊勢丹社会人ラグビー部に所属。
まもなく東芝府中へ移籍。そして日本代表へ。
私も時々、試合を観に行ったり、合宿先に練習を観に行ったりしました。
他の選手と比較して見るとやや小さい方というか細く見えましたが
本人を目の当たりにすると物凄い迫力です。
大きな上に坊主頭で日焼けしているので強い海賊みたいなんです。

肉体を酷使せざるをえないスポーツの世界でレギュラーとして走りつづけた兄。
高校の頃から「怪我しない日はない」と話していましたが
怪我の種類によっては練習に参加することさえも困難になります。
これは歌手の喉にポリープができるのと同じことです。
引退前は大きな怪我との戦いでした。引退の原因は肩甲骨の骨折。
引退を決意したとの電話がきた時、
私は名古屋にあるダイアモンドホールの楽屋にいました。
アコースティックツアー中でまもなく本番というタイミングでした。
「本当に本当におつかれさま」という熱い感動で涙が止みません。
崩れたメイクと表情を急いでなおし、ステージに向かいました。
その日のライブをずっと忘れません。

そんな人物が私の兄。現在は大分県にて
東芝大分社会人ラグビー部の監督として若き選手の育成に励んでいます。

現役だった頃の兄から聞いた、わすれられない言葉があります。
それは10年近く前のことだったように思います。
私が将来への不安を今よりももっともっと抱えていた頃のこと。
その言葉は、自由とは何か、また生きる喜びとはなにか。
そんな人生哲学をも含んだ、温かく、そして勇ましいスポーツマンの言葉です。

「ゲームは、ルールがあってはじめてプレイすることができる」
窮屈のためにルールがあるのではない。
楽しむため、本当の意味で自由になるためにルールがある。
そして人生にも同じことが言えると。

自分が賛同できるルールに出会え、またそのグラウンドの中で
戦うことができたなら、それは人として本当にラッキーなことだと思います。
勝利することへの「因」を確実に手することができるのをはじめ
何よりも、その中で培われる技術や能力への探求を通じて
その人の人生をも豊かにしていくことができるからです。
私の場合にはそれが音楽に当たります。
音楽の持つルール。
メロディー、リズム、ハーモニーは日々、
五線譜に影を落とす人すべてに平等にその技を、
時に褒めたり、時に叱ったりしながら
音楽における勝利へとリードしようとしているのだと思います。

from Salyu

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